別格霊場 第9番 文殊院
2008年1月26日更新
別格霊場 第9番 文殊院 (もんじゅいん)
2008年1月13日 巡礼
この日、第51番 石手寺を皮切りに第46番 浄瑠璃寺まで逆打ちし、その後、時間の都合で残る第52番 太山寺、第53番 円明寺をお参りできるかどうか考えながら引き返していた時、通り道にふとお寺が現れました。
見ると、別格霊場 文殊院と書いてあります。
残り2寺は次回にしても良いかなと考えつつ、お参りする事にしました。
お寺の由緒を読んで驚きました。
四国八十八ヶ所巡礼のきっかけとなった河野衛門三郎ゆかりの場所、彼の屋敷跡に建てられたお寺なのだそうです。
四国八十八ヶ所遍路の開祖 河野衛門三郎伝説とは・・・
昔、伊予の国浮穴郡に衛門三郎という強欲非道な豪族が住んでいました。
手段を選ばぬ年貢の取立てに土地の人は悪鬼長者と恐れていました。
弘法大師がこの地を訪れたとき、悪人を立ち直させるのは出家の本分と、門前にて托鉢を行い彼を諌めようとしました。
しかし、衛門三郎はそれに腹を立て、竹ほうきで大師の眉間に打ちかかり、大師が手に持った鉄鉢で受け止めたところ、鉄鉢は八つに破れて四方に飛び散ってしまいました。
衛門三郎には八人の子供がいましたが、その翌日から八日間の間に、どうした事か子供達全てが次々に亡くなってしまいました。
「八子他界は不憫なこと」と、大師は一夜で八塚を築かれ菩提を弔い旅立ちました。
衛門三郎は自分の欲深さを悔い、改心し、弘法大師に謝罪しようと、四国を巡っていると言う大師の後を追います。
遂に八年、20回も遍路をしたものの、どうしても大師に巡り会う事が出来ません。
そこで逆に回れば会えるかもしれないと考え、逆路をたどり始めます。
ところが疲労の為に第12番 焼山寺の麓で病に倒れてしまいます。
死の床についた衛門三郎の枕元に、幻の様に弘法大師が現れ、泣きながら許しを請う衛門三郎に小石を拾って「衛門再生」と書き、左の手に握らせると、衛門三郎は眠るがごとく安らかに息絶えたのでした。
この話の続きは石手寺をご覧ください。
お寺は小さなものですが、帰宅して調べたところ、色々衛門三郎ゆかりのものがあった様です。
また機会を見つけて行ってみたいと思います。
左より 鐘楼と本堂 本堂 大師堂